深川神社の創始者

Initiator
創始者

深川地域で神社の事を語るには、創始者、浦 典相(てんそう)の事をのけては話は成立しない。浦家に大切に保存されている四部の文献に1-浦典相歴史 2-深川村 深川神社・芽生神社・妹背牛神社縁記書 3-北海道移住道中記 4-深川神社来歴書があり、深川神社の創設を知ることができる。

 

「元冶元年九月より、天皇陛下御宝物を加茂の神庫に納在なし十津川士御守衛を仰せ付けられ、京都加茂林寺に宿陣なし引き続き二条切通し 十津川屋敷にて一ヶ年半相務め也り。」(浦 典相歴史・原文)と記されている。十津川郷士(現在の奈良県十津川)とは1336年から60年間の南北朝の対立の際に奈良県吉野山に南朝を開いた後醍醐天皇側につき、北朝(京都)との戦いに活躍し、幕末から明治初めの動乱時代にも深く携わっていた。

 

明治22年8月十津川の山村に大水害が起き、この惨劇が北海道への大移住を決起させ、新十津川町の発祥となり、その後にメム(現在の深川市メム)開拓の先駆けとなり百戸団体移住につながった。

然るに移住者は遠く墳墓の地を離れ、親戚知己の縁なき北海道に移住したので、厳かな神社の存否は感化上又は、土着の精神を養う上からも関係が大きいと、神社が必要であると決議した。明治26年に浦典相が和歌山県官幣大社熊野本宮に参向し、明治27年家都御子大神の御分霊を拝受、御神体を捧持し芽生神社を御鎮座。明治29年神武天皇、大国主之大神、、梨木大神を祀り深川神社を御鎮座。明治32年妹背牛神社を御鎮座した。

 

-写真は十津川郷士当時の浦 典相-

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